「味噌めしや まるたま」について

私の母の実家の家業が(有)玉那覇味噌醤油で私自身が一番の玉那覇味噌のファンであり「玉那覇味噌販売」という個人で販売を行うことを生業としております。
そんな中もっと多くの人に玉那覇味噌を知ってもらいたい、味噌ってこんな使い方も出来るんだ、ということを知ってほしいという気持ちから「味噌を使った料理を出すお店」をオープンすることとなりました。
飲食業は初めての試みですが、食べることと作ることはとても好きで今までにたくさんのお店やたくさんのものを食べてきた経験を活かして、味噌をよりおいしく伝えていきたいと思います。

てまえみそという言葉があるように昔は各家庭で使う分の味噌を仕込むのが一般的でした。
しかし時代の流れとともに味噌は作るものから買うものへと変化をしてきました。そのような時代の中、明治になる前の琉球王朝時代の後期(安政年間)に玉那覇味噌は創業しました。
沖縄では熾烈な地上戦があった第二次世界大戦でも、戦火をくぐり抜け何とか営業を再開することができましたが、時代の流れ、流通の発展とともに県内での味噌の流通も減少してきました。
しかし、昔ながらの天然醸造・無添加にこだわった玉那覇の味噌は地元を中心に根強いファンがいたため、現在も続けてくることができています。
たくさんの方から「懐かしい味」などと親しまれているのとともに、お取引先の保育園の園児からも「この味噌じゃなきゃいや」などうれしいお声を頂戴しております。

「玉那覇味噌とは」

安政年代(1850年代)の創業以来、琉球王家御用達という誇りと風格を持ち、ひたすら質の高い、体にやさしい味噌、醤油造りを目指し、先代の技と知恵を受け継ぎ、今も昔も変わらずに首里名産の無添加、天然醸造味噌。

琉球王朝時代(尚泰王時代)の中心である首里城、その首里城から約500メートルの浦添、中北部へ通じる重要な道の「安谷川坂」(アダニガービラ)にある琉球王国時代の士族仲田親雲上(ぺーちん)屋敷跡に創業後間もなくに譲り受け、創業より160余年4代にわたり昔ながらの知恵と技と伝統を受け継ぎ、自然の状態で熟成させる天然醸造にて生まれる無添加のやさしい味わいを大切に守り続けております。

「玉那覇味噌醤油のこだわり」

大豆・米・島マース・麦のみを使用し米・麦麹からすべて手作りで製造し、昔ながらの木樽にて天然醸造で熟成させ、添加物を使わない生きている味噌。

原材料は大豆・米・島マース・麦(合せ味噌のみ)。シンプルながら米麹(麦麹)
は米を蒸し麹菌を付けて麹室(麹室)で三日間かけて表面が黄金色に輝くチンコウジ(金麹)に仕上げます。
その麹に蒸し上げた一般的に多く使われている脱脂大豆ではなく丸大豆と塩を加えよく混ぜ合わせて木桶にて熟成させるだけといたってシンプルな作り方ではありますが、とても味わい深い味噌に仕上がります。

「先人の知恵と努力の継承」

戦時中工場は潰されたもの焼けずに残ったに梁や柱を防空壕に保存し、戦後に木材を洗って工場を再建できたことでそこに長年住み着いた麹菌が生きています。

戦時中日本軍の司令部のあった首里城は米国の攻撃の的、そのすぐ近くにあった味噌蔵には窯を炊くための大きな煙突がありそれが武器工場と思われたのか真っ先にその煙突めがけて攻撃があり工場は崩壊したものの、運よく火が出るのを免れその主たる柱を2代目が敷地内にあるた防空壕に保管することができました。
戦後その柱を使って工場を再建することで、長年の間柱に住み着いた菌を失うことなく昔ながらの玉那覇味噌醤油の味を再現することができました。

「味噌づくりに適した環境」

亜熱帯沖縄は年間平均気温30度と発酵に適した環境で、天然醸造でも短期間で熟成が進みどの季節からでも仕込みができる味噌づくりに適した環境。

一般的に内地などの天然醸造味噌は二年、三年とかけてじっくり熟成させることが多いのですが、沖縄では年中の気温の差が少なく、短期間で発酵するのが特徴です。また熱いと思われる沖縄ですが最高気温は33度を上回ることが少なく日陰で風通しの良いところでは涼しく感じるぐらいです。
また玉那覇味噌醤油の味噌蔵の周りは昔ながらの琉球石灰岩という首里城の門などにも多く使われている厚さ3尺の石垣で囲われており、その特徴として大小無数の孔があり直射日光を受けても温度が上がりにくく通気性もよくなっております。
戦争で一部破壊されたものの今なお半分ぐらいは昔ながらの石垣その上にも新たな石垣が詰まれ蔵の中には涼しい風が通り、味噌が熟成するのに適した環境が残っております。
また昔から水が豊富な場所として知られ、醸造の本場として老舗の泡盛蔵も多く存在し栄えてきた古都首里にて続く玉那覇味噌醤油は首里名産として決してよそではまねることのできない風味があります。